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写真 芸名 コメント
初舞台 現在地 本職
竜宮亭 無眠 りゅうぐうてい むーみん 人の噂によるとどうも我が会のリーダーらしい。それぐらいメンバーは彼のことをそのように意識していない。それがこの会の長続きする要素だと、言い聞かせるのだが、リーダーらしく扱われていないことを彼は嘆いている。しかし彼なくしてはこの会が創立されていなかったこと、また彼なくしては長続きしなかったことはメンバー誰もが認めており、これからも彼がいなくなったらこの会の求心力がなくなることは誰もが思うことである。それは彼が我が会のショックアブソーバーであり、クッションであり、マットであり、座布団であるからである。また、この東海圏では彼のファンは多く、どこの寄席に行ってもお客さんから声がかかることはうらやましいことである。もし、無眠の大トロを味わおうとするのなら「親子酒」にかぎる。これは絶品である。
平成16年全日本社会人落語選手権大阪本選 年度1位
平成16年国民文化祭 福岡県知事賞(3位)受賞
平成18〜21年全日本社会人落語選手権大阪本選 優勝 4連覇達成
平成19年全日本社会人落語選手権東京大会 優勝
昭和58年 明晩丁稚 岐阜県各務原市 コンピュータ技師らしい
若鯱亭 笑天 わかしゃちてい しょうてん シャイで冷静で無口で、かと思えば明るい時はやたらと明るく、最年長の喜楽を震えあがらす鋭い上目使いで、どこから見ても好青年に見えるのが、彼、若鯱亭笑天である。「初天神」や「佐々木政談」など、子供が出てくるネタを得意とし、彼の演じる子供は大変評判がいい。ちょっとくやしい。本職は看板屋で、各務原市内の「ホテル竜宮」の看板は、彼の手によるものである・・・他の代表作(?)は知らない・・・
結婚を機に高座数が減ってしまったのは残念である。やはり結婚は敵である(○眠 談)。しかし「やせがえるの会」や「楽で落語を聴く会」など、ここぞという高座はかならず顔を出しているのでぜひ覗いてみよう。
昭和61年 子ほめ 愛知県春日井市 看板屋
若鯱亭 夢輔 わかしゃちてい ゆめすけ 人情噺を得意とする彼は、楽語の会きっての実力者。花魁を演じる時の色気は絶品で、最近、砂九の彼を見る目が変だとの噂がたつほど。普段はすまし顔で強烈なジョークを飛ばすせいか、彼が経営している「お食事処『楽』」での営業スマイルは下手だというのが、メンバー全員の一致した意見である。「お食事処『楽』」を経営しているため、大須演芸場をはじめとする夜席に姿を見せなくなったのは残念であるが、そういう時の「お食事処『楽』」には、公演を終えたメンバーがたむろしているので、顔を出してみよう。お茶漬け一杯からでも彼の営業スマイルは拝めるシステムになっている。
平成6年国民文化祭 出場
平成9年全日本社会人落語選手権大阪本選 特別賞受賞
昭和59年 手水廻し 名古屋市中村区 居酒屋の大将
邪道亭遊朝 じゃどうてい ゆうちょう 大学時代の夢輔の後輩。体が弱く、駅の階段で転げ落ち、血みどろで大学に行った話は有名。普通の人は、いったん帰宅するか、駅の救護室か病院に行くのが当たり前という常識を持ちあわせていなかった。地元広島の「広島演芸協会」に籍を置くがそこにはちっとも現れず、思い出したように、名古屋にフラっと顔を見せる不思議なお人である。
平成3年 目黒のさんま 広島市安佐南区 広島生協
奈良家亮太 ならや りょうた  奈良に住んでいるので「奈良家」という、まことにわかりやすい男である。彼の落語は他のメンバーにはない独特の味があるのだが、むしろ彼が得意とするのは漫談や漫才であり、夢輔と組んだ「幸福列車」というコンビは、学生から続くものである。本番の前の日に夢輔と簡単にネタ合わせをしたあと、徹夜でファミコンをやって、その日一番のウケをとるところは、天性のものであろう。神出鬼没で、出る時は出るし、出ぇへん時はほんまに出ぇへんというのが特徴である。
昭和61年 道具屋 奈良県榛原町 榛原町役場
花乃家金葉 はなのや きんよう  小学校の先生である花乃家金葉は、先生らしいやわらかな口調で、聞きやすさでは他のメンバーの追随を許さない。小学校の先生であるにもかかわらず、得意ネタは「お玉牛」という夜這いのネタで、将来の日本が心配される。先生だけに、子供向けの落語の経験はメンバーの中でもずば抜けており、子供会などでも大活躍、さらには三味線も弾いてしまうという特技をもっており、プロの噺家を呼んで行われている「岐阜落語を聴く会」でも下座で活躍中である。彼の家に電話をすると、とぉ〜っても可愛い声をした奥さんが出てくるのだが、誰も会ったことはなく、想像ばかりがふくらんでしまっており、今では金葉の奥さんはクレオパトラより奇麗な人だというのが、楽語の会の中での一般的な見解である。
昭和57年 手水廻し 岐阜県各務原市 学校の先生
お好味家喜楽 おこのみや きらく 楽語の会に入ってから落語を始めた変り種がお好味家喜楽である。もとより、落語は好きだったようで、見よう見まねで学生時代にやったことはあるものの、本格的に始めたのは楽語の会に所属してからのこと。キャリアの浅い分を、練習量でカバーするあたり、じいさんだというのに見上げた根性である。性格からくるものか、ほんわかとした雰囲気の落語がよく似合う。三河地方の定期公演から老人ホーム慰問まで、次々と公演依頼を取ってくるという、いわば三河地方の重鎮。もっとも、メンバーの中で三河地方在住は彼以外にはいないのであるが・・・。落語の他にもカラオケとドラムが得意で多芸に富むが、一度もその姿を見ていないメンバーは誰一人として信用していない。安城市の昭林公民館で『昭林寄席』を主宰する他、落語教室の先生でもある。
平成8年 看板の一 愛知県安城市 鉄工所の工場長さん
石亭弁笑 せきてい べんしょう  河太朗、笑天、涼ノ介に続く名城軍団が、彼、石亭弁笑だ。つい先日までは学生という、最も若いメンバーである。それだけに若々しい勢いのある落語を演じる。学生の間はブイブイ言わせていたが、ホームセンター「カーマ」に就職したため、涼ノ介同様、週末が忙しくなってしまったのは残念。最近では、合宿のみに参加するという変な活動状況である。そのうち、復活するだろう。
強情灸 愛知県小牧市 カーマホームセンター
川の家 河太朗 かわのや がたろ 楽語の会で最もキャリアを持っているのが、この「川の家河太朗(がたろ)」であり、軽く25年を超えるという。それだけに、持ちネタの数は多く、やったことのあるネタは100を超え、「亀佐」や「戒名書き」など、プロもほとんど・・・と言うより全くやらないネタまで手を出している有り様。それだけに、落語に対するウンチクはピカイチで、「楽語の会」の生き字引である。また、最も「やりたがり」であり、出演予定のない公演でも、「一応ね」とか言って着物を持ってきては、他のメンバーを困らせる。最近では「名城大学落研の伝説の人」というプライドまでかなぐり捨て、「出さしとくんなはれ」「頼んますわ」「そんなこと言わんと」というセリフがやたらと多くなってきている。平日だろうがなんだろうがかまわず有給休暇を取ってはあちこちで出演している。「会社のほうは大丈夫ですか?」と一応心配はしてみるが、有給休暇の承認のハンコを押すのは彼だというから、どうしようもない。そんな彼は、笑天の大学の大大大先輩だったりもする。志ょ朝とともに、半田の「雁宿寄席」を主宰。
饅頭こわい 愛知県常滑市 印刷会社の工場長さん
若井家 かもめ わかいや かもめ 楽語の会に花を添えてくれるのが、この若井家かもめ。二児の母であるが、さて、いつまで「わかいや」を名乗るか注目したいところだが、「あんたらに比べりゃ一生若い家かもめ」なんて芸名にされると困るので、あまり触れないでおこう。彼女の落語はなんとも言えない味があり、「おげれつ指南」などは、楽屋が爆笑のうずに巻かれてしまった。ただし、爆笑しすぎて客席にうけていたかどうかは不明のまま。女性が落語をする・・・というのは確かに珍しいが、プロでも社会人でもいるにはいる。しかし、彼女が珍しいというか変わってるというのはそういう点ではない。「エピソードその1」お食事処『楽』で泊りがけの合宿をしようという話が決まって、彼女に参加するかどうかを聞いた時の返事が『私がいったら都合悪いですか・・・』...目つきの悪い頭つきの変な男ばっかりの合宿に参加するかどうかを聞くと、普通の女の子は『行かないと都合悪いですか』と聞くもんだ。「エピソードその2」彼女の結婚式の前日に定期公演の予定が入った。その事を彼女に伝えると『う〜ん・・・』...普通の女の子は挙式の前日、いや、一週間ぐらい前でもそういう予定は即答で『行けません』と言うもんだ。
つる 岐阜県岐阜市 しゅふ
浪漫亭 砂九 ろまんてい すなっく 無眠にとって目の上の10t爆弾なのが、浪漫亭砂九(すなっく)である。お菓子のスナックではなく、飲み屋の方のスナックから来ているらしい。学生時代の初舞台では、舞台に上がった途端に絶句し、そのまま降りてきたという経験を持つ彼だが、楽語の会の中では最も上方らしい上方落語を演じると言えるであろう。どこでどう情報を入手したか、大須演芸場での公演に突然現れ、「ええなぁ、ええなぁ」を連発、勝手に打ち上げの会場に乗り込んでは、またまた「ええなぁ」。お情けで入会させてもらうが生来のおしゃべりのために四面楚歌の状態になっていることに、本人はまだ気が付いてないのが哀れさを誘う。津島市で「あかね寄席」、春日井で「ソフィアン寄席」、大曽根で「ぱんとまいむ寄席」を主宰する他、年間150を越える高座を誇っていた。
平成18年11月24日、あまりにも早すぎる逝去は東海地方全域に渡る多くの彼のファンは元より、全国の天狗連や、一部のプロの噺家さんの間にも衝撃が走った。享年49歳。
つる 愛知県七宝町 おさかな屋さん
槍田家志ょ朝 やりたや しょちょう 「歌って踊って落語のできる消防士 やりたやしょちょう」と一人で言ってて誰にも言ってもらえないのが、この人、志ょ朝である。落語も踊りも見たことがあるが、未だに歌と消防士であるところは見たことがない。それなのに、新聞などに掲載される時は「消防士」というだけで、やたらと取り上げられる。ちょっとズルい。前名は磯下家妻恋(いそげやさいれん)と言った。親しみやすくもあるし、当て字もいい。好評だったのに、周りの反対を押し切って改名したところを見ると、とうとう「妻」に「恋」心を抱かなくなったか?と、一部では噂している。なお、当人の弁によると、「署長さんになりたかった」そうである。志ん朝と紛らわしいと、大須演芸場の支配人に怒られた話は有名。楽語の会が一気にマルチメディアを導入するきっかけになったのは彼の功績で、このホームページはもちろんのこと、会員証の作成、ロゴのデザインから、果ては新型メクリ台とそのケース、便座型灰皿から餅つき用の臼・杵まで(どこがマルチメディアだ)なんでも作ったり、どこからともなく調達してくる。落語の方はというと、「扇の的」や「屑より」など、主婦受けのいい落語が得意である。あれ?するとやはり、改名の理由は・・・いやいや、これ以上家庭の事情には首を突っ込むまい。
小言念仏 愛知県美浜町 消防士
ペリー くろふねてい ぺりー この人はなんであろう。そう、私もよくわからない。この間まで「片桐さん」と呼ばれていた彼だが、突如、「黒舟亭ペリー」を名乗りだす・・・というよりも、彼のいない所で彼の知らない間に満場一致でこの芸名が決まってしまった。彼もまた、楽語の会の犠牲者なのだろうか・・・。しかしながら、落語に対する情熱は人一倍強く、彼が大好きな2代目快楽亭ブラック(立川談志門下)を名古屋に呼んでしまったのも、誰あろう彼である(「名古屋で新作落語を聴く会」をご参照ください)。「岐阜落語を聴く会」のスタッフとして活躍中の他、「俺も落語をやるゾ」宣言したので、初高座を乞うご期待!!!
  愛知県犬山市 新聞記者

 

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